Pages

Saturday 10 June 2006

『告白』 アウグスティヌス/Confessions (St. Augustine)

少年時代、「智慧の不滅を私は信じ難い程の熱情を以って慕った」アウグスティヌスは、青年時代の約9年間、マニ教の熱心な‘Hearer’、聴衆の一人でした。
マニ教は、感受性が強く、知的で、真理への情熱に満ちた青年アウグス ティヌスを、その合理的な教義と二元論で魅了しました。後にアウグスティヌスは、「迷信、いたるところ虚妄に満ちていた」マニ教と離れ、その思想の懐深く まで知っているが故に、最も鋭い批判者の一人となります。
青年時代、一度はこのように自 問したことがある人なら、マニ教徒であったアウグスティヌスにも共感できたでしょう、「自分の魂には、隠れた、素晴らしい、何物にも汚されていないし、汚 されることもない、真に純粋なものがある」、たとえ感覚的快楽に身を委ねることを止められず、また盗みを働いたとしても、それでも自分の中には何かしら 「崇高な」「高貴な」、曇りのない、神的な実体がある、と…。こうしたことを保証してくれる教義は、アウグスティヌスや当時のある人々にとって非常な魅力 を持ち得ました。マニ教徒の選ばれた人々の一群、彼らは不吉な、青白い顔をした異教徒の集団でした。ただ、その教義は、暗い外見とは反対に、極端に楽観的 で、人間の行動を過度に単純化する考え方に基づいていました。一度、彼の真の状態に「目覚めた」人は、その精神にある、輝く「断片」を、その本来の純粋な 姿に戻すことができる。そして、危険から身を遠ざける。それは消極的で静的な世界との和解であり、そこに葛藤の場はありません(!)。
よく知った友人の打ち 明け話に耳を傾けるときのような気持ちでこの本に向かい、深遠で難解な思想や秘教的言説、現代的に思える鋭い心理的考察だけでなく、その人柄の直裁さ、真 面目さと愛らしさに出会うとき、人はある懐かしさを覚えることができるかも知れません。ここで真理への愛を告白しているのは、アウグスティヌスではなく、 かつての自分だったかも知れないのです。